海を渡ったサムライ朝河貫一
アメリカを代表する名門大学イェール大学の創設は1701年。これまでに多くの人材を世界に輩出してきました。そのイェール大学に日本人の名前がついた公園があります。100年前にイェール大学で教鞭をとっていたある日本人の業績を讃えて造られたものです。
男の名前は、朝河貫一。日本人初のイェール大学教授。そして、世界的歴史学者として高い評価を受けています。
しかし、朝河貫一の功績はそればかりではありません。激動の20世紀にあって、世界情勢を客観的に見つめ、日本の針路を決定付ける出来事のたびに、祖国・日本の平和のために行動を起こしてきました。
日露戦争後の日露講和会議では、舞台裏で日本の立場を主張し、世界中に日本に対する支持を訴えました。太平洋戦争直前には戦争回避を目的として当時のアメリカ大統領ルーズベルトから昭和天皇への親書の草案作りに取り組みました。
現在、日本の政治は混迷を深め、外交の分野をとっても難問は山積しています。朝河貫一がイェール大学の教授となって100年。番組では、世界史的な視野に立って日本を見つめ、祖国・日本のため最後まで情熱を持って行動した真の国際人の生涯を描きます。必ずや彼の生き様から多くのことを学ぶことができると考えています。

番組の内容
 朝河貫一は1873年福島県二本松市(旧二本松藩)に生まれます。二本松藩は戊辰戦争に際し、薩長を中心とした新政府軍に大敗。旧二本松藩士の長男として育てられた朝河貫一は、己の可能性を日本国内に見出せず、海外留学を夢見ます。そして、朝河は福島尋常中学、東京専門学校をそれぞれ首席で卒業、1895年アメリカのダートマス大学に入学します。ダートマス大学では学業優秀、その後イェール大学大学院に入学します。
1905年アメリカ・ポーツマスで開かれた日露講和会議の場に自主的にでかけ、「日本の戦争目的は賠償金、領土の獲得にあらず」と日本が新しい時代の新秩序のために戦っているという「立場」を主張し、世界に理解を求めます。日露講和条約は結果的に朝河の主張通りに決着したのです。
しかし、日本国内世論はこの条約の内容に「弱腰」と怒り爆発、「日比谷焼打ち事件」が起こるなど、その後の日本は大陸進出など戦争への道を歩んでいくことになります。これは、ポーツマス条約の際にとった日本の考え方を覆すことに他なりません。祖国の状況を憂慮した朝河は、1909年名著「日本の禍機」を出版、日本とアメリカはいずれ戦争になると警告しました。しかし、朝河の警告、予言の通りにその後の日本は歩んでいくことになりました。
また、朝河は、祖国・日本の破滅への道を阻止するべく、1941年、日米開戦直前、当時のアメリカ大統領・ルーズベルトからの昭和天皇宛て親書の草案作りに奔走しています。残念ながら、結果は朝河の願いもむなしく太平洋戦争に突入してしまいます。
1948年アメリカ・ニューヘイブンにて永遠の眠りについた朝河は、生涯のほとんどをアメリカで過ごしましたが、最後までアメリカには帰化をせず、世界史的な広い視点を持って日本に忠告を発し、祖国を愛し続けた真の国際人だったのです。

みどころ
(1)イェール大学の全面的な取材協力によって撮影できた美しいキャンパス!
国内ロケは朝河の故郷、福島県二本松市、郡山市を取材。朝河の青年時代の逸話が残る「朝河桜」の満開時機にあわせてナビゲーターのヴァイオリニスト・高嶋ちさ子が訪問しました。また、アメリカ・ロケでは、高嶋ちさ子はイェール大学の出身ということで、今回久し振りに母校を訪ねました。その他、朝河の母校・ダートマス大学、日露講和会議の舞台となったポーツマスを取材、昨年11月の紅葉が美しいアメリカ東海岸の風景の中を巡りました。「図書館大学」の異名を持つイェール大学では、スターリング記念図書館や朝河が作った東アジア図書館を紹介、貴重な文献(朝河コレクション)の一部をご覧に入れます。

(2)100年前の歴史の舞台で当時を再現!
日露講和会議、大統領親書の舞台裏での朝河の活躍ぶりは、ドラマタッチのVTR構成でわかりやすく伝えます。特に日露講和会議については、ポーツマスに今も残る両国代表団の滞在ホテル『ウェントワース・バイ・ザ・シー』でロケを行いました。

(3)渡辺篤史の朗読、高嶋ちさ子の演奏が物語を盛り上げます!
さらに、番組構成上重要な役割を果たす朝河の著作、手紙などは俳優・渡辺篤史が朗読します。朝河の心情を視聴者のみな様に伝えられるようにとの思いからです。
番組全編を通して、高嶋ちさ子演奏の美しいヴァイオリンの音色が流れるのももうひとつの見どころ(聴きどころ)です。





日本の禍機(かき)

最後の「日本人」―朝河貫一の生涯

朝河貫一とその時代

朝河貫一比較封建制論集

「驕る日本」と闘った男
―日露講話条約の舞台裏と朝河貫一