ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~

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お知らせ

  • 5/28(日)放送はゴルフ中継が延長の場合、放送時間が変更または休止になる可能性があります 放送時間の変更については、最新の番組表をご覧ください。
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番組概要

今、あなたに聞きたいことがある…

様々なジャンルで時代を切り拓いてきたトップランナーたち。
彼らは、如何にして“新たな時代の扉”を開いてきたのか?
知られざる『裸の履歴書』が明かされる。
週末の土曜・日曜18時から二夜連続でお届けする『ザ・インタビュー』は時代の「トップランナー」と人間洞察のプロである「インタビュアー」との手に汗握る真剣勝負をお届けする全く新しい感覚のドキュメンタリー番組です。

放送予定

5月27日(土)
ゲスト:山田邦子(タレント)

ゲスト×インタビュアー
山田邦子(タレント)×吉永みち子(作家)

1960年、東京荒川区生まれ。厳格な父のもと、中学から短大まで、お嬢様学校といわれる女子校に通う。成績はオール5。小学校から短大まで、学級委員を務めた。学校では、ファンクラブができるほどの人気者。その原点となったのは、幼いころに抱えていたあるコンプレックスが影響したという。それは一体何だったのか?
中学時代の夢は、落語家。短大に進むと、早稲田大学の寄席演芸研究会に入り、素人参加番組に片っ端から応募する。人気番組「笑ってる場合ですよ!」の勝ち抜きコーナーでチャンピオンとなり、アマチュアでありながらテレビ業界では知られた存在に。おなじみのバスガイドのネタは、学生時代に作ったものだという。
1981年にデビューし、本格的に芸能活動を始めた山田は、「オレたちひょうきん族」のレギュラーとして活躍。「ひょうきん絵描き歌」のコーナーで一気にブレークした。その後も、コントやモノマネでも才能を遺憾なく発揮していく。そして1989年、自身の名前がついた冠番組を持つまでに。さらに、NHKの好感度タレントランキングでは8年連続1位に輝いた。当時の月収は1億円を超えたという。
山田に転機が訪れたのは10年前。46歳の時に乳がんが発覚したのだ。3つの腫瘍摘出のため、2度の手術を余儀なくされ、放射線治療やホルモン剤治療と予断を許さなかった。それまで大病を患ったことなどなかった山田。しかし、“がん友”と呼ばれるがん患者仲間との交流を機に、人生観が大きく変わったという。手術から1年後の2008年、「がんに立ち向かう人たち、家族を勇気づけたい」「がんの早期発見治療の大切さを伝えたい」その思いを実現するため、著名人が参加する「スター混成合唱団」を自ら結成。参加者はボランティアでノーギャラ。マネージャーも同行しない。団長の山田は参加者集めから、移動手段、宿泊施設の予約、スケジュール作成まで、事務作業を一手に引き受けている。活動にかける山田の思いとは?
今年1月には、プロレス大会をプロデュースした。実は、山田は年間70試合以上観戦するという筋金入りのプロレスファン。乳がんを患って10年がたち、快気祝いとしてプロレス団体「NOAH」の協力で、大会を開催したのだという。
また、プロレスのほか取り組んでいるのが、農業。新潟県の畑で大好きなスイカの栽培をしている。釣りはスポーツ新聞に連載を持つほどの腕前だ。さらに、三味線、リカちゃん人形の収集…と多忙な日々を送る。現在56歳、再発の恐怖と闘いながら、人生を謳歌(おうか)する山田邦子。その素顔に迫る!

5月28日(日)
ゲスト:稲垣潤一(歌手)

ゲスト×インタビュアー
稲垣潤一(歌手)×森下康樹(編集者)

インタビューの舞台は、稲垣が古くからオーナーと親交があるという、東京・新宿にある小さなライブハウス。インタビュアーは、編集者・森下康樹が務める。稲垣よりちょうど10歳下の森下は、18歳で上京した時にテレビで歌う姿に鮮烈な印象を受け、以来、ずっとファンだという。そんな森下が引き出す、稲垣の素顔とは?
1953年、宮城県生まれ。榴ヶ岡駅にある商店街で洋品店を営んでいた両親は、大の洋楽好き。幼少のころから家のラジオで音楽を聞いて育った稲垣は、中学1年生の時、友人たちとバンドを結成、ドラムを担当することになる。初めて人前で演奏した時から、すでにドラムをたたきながら歌うというスタイルだった。「なぜ、ギターやベースではなく、ドラムを選んだのか?」「ドラムをたたきながら歌うのは、大変では?」さまざまな質問をぶつける森下に対し、稲垣は実際にドラムをたたきながら、現在のスタイルがどのように誕生したのか、を語っていく。
高校でもバンド三昧の日々を送り、卒業後はいったん就職するも、わずか1日で辞め、クラブやキャバレーなどで演奏する“ハコバン”生活に入る。米軍キャンプやビアガーデン、ディスコ、さまざまな場所で演奏するが、客の目的は酒やホステスであり、バンドはあくまでBGM。金銭的な待遇も悪く、多くのバンド仲間たちが“ハコバン”生活から去っていく中、稲垣はプロのバンド演奏者として約9年間活動を続けた。その甘い歌声は話題となり、「仙台に稲垣あり」といわれるまでに。そしてついには東京からスカウトが訪れ、1982年「雨のリグレット」で世に出たのは、28歳の時。プロになった稲垣は、歌や音楽と向き合う姿勢が大きく変わったという。その心境の変化とは? その後、「夏のクラクション」「ロングバージョン」など次々とヒットを飛ばし、いつしか大人向けのロック、いわゆるAOR(Adult-oriented Rock)を代表するミュージシャンと呼ばれるように。
デビュー3曲目の「ドラマティック・レイン」がヒットし、一躍スターに。そしてデビュー10年目の1992年、今も歌い継がれるクリスマス曲の定番「クリスマスキャロルの頃には」が誕生、ミリオンヒットとなった。作詞は、秋元康。この曲がヒットした要因の一つに、秋元の作詞の妙があるという。果たして大ヒットの理由とは? 貴重なライブ映像をみながら、その秘密をひもといていく。
デビュー35周年、さまざまな記念ライブやコンサートが開かれる中、プライベートでは中学時代に友人たちと組んだバンドを再び結成。2008年からは、中森明菜、太田裕美、柴咲コウなど、さまざまな女性ボーカルとデュエットしたカバーアルバム「男と女」をシリーズで発売。デュエットという新ジャンルを開拓し、最近では人気アイドルNMB48の山本彩との “40歳差”デュエットも大きな注目を集めた。60代にして今なお挑戦し続けるミュージシャン稲垣潤一は、これまでどのような思いで音楽と向き合ってきたのか? 「音を楽しんでこそ、音楽」と語る稲垣の足跡を、ヒット曲と共にたどる!


キャスト

◆男性インタビュアー

【森下康樹】YASUKI MORISHITA

幻冬舎 常務執行役員。石原慎太郎氏、浅田次郎氏、森村誠一氏、岸惠子氏、林真理子氏など文壇の第一線で活躍している人気作家を担当する文芸編集者。

◆ 女性インタビュアー

【吉永みち子】MICHIKO YOSHINAGA

作家。1985年『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。コメンテーターや郵政行政審議会、地方分権改革推進会議などの委員を歴任