ひとりは皆の為に、皆はひとつの為に

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放送内容

【第1章 釜石シーウェイブス東日本大震災復興への挑戦】

今から四半世紀前、松尾雄治率いる新日鉄釜石は前人未到の日本選手権7連覇を達成する。国立競技場には所狭しと旗めく数多くの大漁旗。「オラが町のヒーロー」の栄光を見届けようと、大型バス数十台で遠路はるばる駆けつけた釜石の人々にとって、新日鉄釜石は街の誇りであり、シンボルであった…そんなチームをルーツに持つ「釜石シーウェイブス」。2001年に地域密着を目的として企業チームからクラブチームへと変貌。地元ファン、地元企業のバックアップのもと、日本選手権奪還を目指し、日夜楕円球を追いかけてきた…。

しかし、3月11日、東日本大震災が発生。三陸海岸に面した釜石市も、9メートルを超える津波に襲われた。港に面した地域は、壊滅状態、多くの人が被災し、家を失い、長く、厳しい避難所での生活が始まった…。
電気や電話を始めとするライフラインが完全に遮断された地震当日の夜、クラブハウスに続々と詰めかけるシーウェイブスのメンバー。全員の安全が確認されチームはホッとすると同時に、これから先の自分の生活、そして釜石の町の行方を案じる事になる…

日本中が被災地の無事を祈り、水や食料が続々と届けられる中、救援物資集積所で、荷物の積み下ろしをする、屈強な男たちの姿があった。釜石シーウェイブスの選手たち。 前夜、絶望感に打ちのめされながらもチームは話し合いを持った。  これまで地元サポーターに支えられてきたシーウェイブス。「誰かが何かをやらなきゃいけない」「再び釜石を復活させよう!」。
翌日から高橋GMを先頭に、メンバー達は献身的に復興支援ボランティアに従事することになる…。

ボランティア活動を続けていた選手たち、1か月もしない内に、街の人から「いつになったら練習再開するんだ」「試合はやるのか」そう声を掛けられるようになった。
そして、震災から、およそ2か月後の5月3日、待ちに待った練習再開。
グランドが、自衛隊のヘリの発着所となっていたため、爆音の中での練習となったが、それでも、選手たちは、ラグビーができることの喜びを噛みしめていた。

そして、迎えた6月5日。
この日、釜石・松倉グランドにトップリーグの強豪、ヤマハ発動機「ジュビロ」を迎えた、釜石での復活第一戦。結果は周囲の期待とは裏腹に練習再開、間もないシーウェイブスは、5−77という敗北を喫する。しかし、釜石での試合を待ち望んでいたファンは、強豪から奪い取った「5点(ワントライ)」に、勇気を貰う…「釜石の町と同じ様に少しずつ、チームは前のように強くなってくれる筈。今日がその一歩!!」と。

シーウェイブス闘う姿から勇気を貰い、復興へ立ち向かうファンの姿と、そして、そのファンの熱い思いの為にも本気で「トップリーグ昇格」を目指すラガーマン達の、釜石復興へ向けた記録の記録です。